飛騨の匠とはHIDA NO TAKUMI

円空

僧円空(1632~1695年 寛永9~元禄8)は、生涯に12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに5,300体以上の像が発見されている。その地域は広範囲で北は北海道や青森、南は三重や奈良県にまで及び、なかでも愛知県と岐阜県には多くを数える。

飛騨の円空

円空にとっての飛騨は、生まれ育った美濃・郡上に次ぐ第二の故郷ともいわれ、中でも千光寺は格別の関係だったようで、両面宿儺像や観音像等60数体が残されている。
円空が彫って納めた厨子の扉に「貞享2年5月吉祥日」(1685)と墨書されているところから、このころ千光寺に滞在していたとされ、その後度々訪れるが、飛騨各地での造像活動もこれ以降で、円空の後期作品が多いと思われる。 
下の画像は円空上人が現在の高山市国府町の清峯寺を訪れ、本堂の十一面観音像の二度に亘る災禍の話を聞き、受難の観音像を供養、万民の招福と除災を祈って作仏されたとされる3仏のひとつ、聖観音菩薩像である。
(新・飛騨の匠ものがたりⅢより)


2015年開催の〈飛騨の匠展〉に展示させていただいた際に撮影。

ページの先頭へ戻る