飛騨の匠とはHIDA NO TAKUMI

飛騨にはクラフトマンがたくさんいる

飛騨のクラフトマンを集結しよう

クラフト協会発足の必要を提唱したのは、飛騨産業㈱の社長で後に高山市長も務めた日下部尚である。「飛騨には個別に活動をしている素晴らしいクラフトマンがたくさんいる。是非集結して欲しい。家具や木工だけでなく業種を限定しないで団体活動をすることで、クラフトが飛騨・高山の将来に有効な地域資源になる」と日進木工㈱の尾花にその任を託した。


日下部尚はグッドデザイン賞の審査基準をベースにものづくりをしている人や伝統工芸の技術を駆使して新たな創造をする人も飛騨のクラフトマンと認定しようと云われ、日進木工㈱の北村斉氏(後の飛騨のクラフト協会顧問)は企業名や工房名ではなく、あくまでも個人名での参加を提言、1990(平成2)年の「第1回飛騨のクラフト展」を飛騨地域地場産業振興センターで開催し多くの来場者から高い評価を得た。


「第1回飛騨のクラフト展」を開催するには、該当するクラフトマンを探さなければならない。先ず日進木工㈱の北村繁氏、北村斉氏、鍋島グループの鍋島道雄氏と合議の上、候補者をリストアップし、高山をはじめ飛騨地域の全市町村をくまなく廻り、「第1回飛騨のクラフト展」開催にこぎつけることができた。


飛騨地方には木工に限らず多岐の職種が多いにも限らず、レベルの高いものづくりをする人たちが大勢いることが分かった。組織に属さずクラフトを専業とし個人で活動している人、伝統的工芸品づくりを生業としながらその技術を生かして創作活動をしている人に大別できた。前者は飛騨地域以外からの移住者が多く、後者は飛騨地域に生まれ育った人たちであった。飛騨のクラフト協会発足当時の会員数は60名を超え、飛騨地域地場産業振興センターに事務局を置き、1993(平成5)年、正式に任意団体飛騨のクラフト協会を設立、入会資格は飛騨在住者を基本としたが飛騨生れであれば飛騨在住でなくてもいいことにした。


協会の目的は、飛騨の匠の技と精神を基本に、個人の感性で想像した新たなものづくりと、研鑽と親睦、日本並びに飛騨の文化を世界に発信し、飛騨のクラフト業界の健全な発展に貢献することを目的に協会がスタートした。


尾花 蕃作 栃材手彫スツール

飛騨のクラフトの職種は多岐にわたる

飛騨春慶、一位一刀彫、木工、木工芸、家具、指物、木彫、漆芸、桐細工、彫金、鍛金、金工、陶磁器、吹きガラス、ステンドグラス、古布人形、染色、染織、手描き友禅染、手漉き和紙、トールペイント、きり絵、布絵、ペン画、革工芸など多岐の職種にわたる。
岐阜県飛騨地区の限られた狭い地域の中に、以上のような多岐にわたる職種のものづくりをしている人たちがいる。

クラフトとは

広義には手づくりしたものは全て「クラフト」であると広辞苑にある。
伝統工芸に対してクラフトは現代工芸という言葉で区別するのがわかりやすいと思う。

 

クラフトとは、手わざでものをつくる仕事のことをいい、それを業とする人をクラフトマンという。主に家具、食器、玩具、織物、インテリア小物など職種や素材に制限はなく、本来は一般的にアートと言われる一品製作の美術工芸品とは区別し、手づくりであっても複数生産が可能で、荒取りの範囲で機械力を活用しても手づくりの温もりや豊かさが生かされた現代工芸品をいう。クラフトは大量生産されるインダストリアルデザインと、ものづくりのコンセプトは共通するが、自分らしい暮らしを豊かに演出するために、やすらぎと癒しのある新しい独自のライフスタイルを求める都市型生活者にとって量産品ではない手作りのクラフト製品の存在が大いに注目されている。


ことに1950(昭和25)年代以降、アメリカ文化の影響を受けて急速にわが国に浸透してきたインダストリアルデザインは、思想や技術論など日本のクラフトに大きな変化をもたらすきっかけとなった。以後今日まで、互いの特性を認め相互交流を重ね、新たな時代のデザインを生み出している。最近ではかつての欧州のアーツアンドクラフツ運動とは意は異なるが、クラフトとアートの境界が無くなりアート&クラフトとして特段区別をしない傾向になってきた。

飛騨のクラフトとは

飛騨のクラフト協会は、現代工芸として位置づけ伝統工芸と一線を画すこととした。ここでの伝統工芸とは、伝統技術を駆使することは是とするが、制作者の創意による作品ではなく古来からのデザインやパターンを繰り返し作り続けているものづくりのことをいう。
飛騨のクラフトの定義を以下のように定めて他地区、他組織との区別を明確化している。

飛騨のクラフト協会定義

  1. 伝統工芸とは分類を異にし、「つくり手」の自由な発想で新しいデザイン性が発揮されているもの。
  2. 長く使い込むことで愛着がわき、常にリファイン(再生、再発見、仕立て直し)することができるとともに、循環型社会に適合する規範的(手本、模範)で永続性のあるもの。
  3. 手づくりの特性を追求し機械を良質化のための道具としたもので、市場性・継続性を前提としたオリジナリティを有するもの。
  4. 現代のライフスタイルに心の豊かさと潤いを与えられるもの。

飛騨のクラフトマンのものづくり

飛騨地方は陸の孤島と称されるほど山に囲まれ狭い地域であるにも関わらず、多くのクラフトマンが存在することは全国的に見ても希と言えるだろう。1300年以前に都の造営に携わった飛騨の匠の歴史と伝統文化が色濃く息づき、現代のものづくりに伝承され、そのような独自の風土の中で飛騨のクラフト作品はつくられている。


現代工芸を目指し和風洋風の区別に縛られず、無国籍で一品制作であってもアートかクラフトかなど考えず、ものづくりの団体に属しても属さなくても、素人でもプロでもどちらでもよく、素材や職種に拘らず、本業でなくても楽しみながら黙々と自分のものづくりをし、手づくりで手間と時間を惜しまず、しかし、素材を大切に活用し後進に技能をより良く伝え、つかい手の視点で遊び心を持って楽しんで自分が納得できるものづくりをする人が理想的なクラフトマンだとしている。生粋の飛騨人だけではなく飛騨ブランドに価値を見出して他地域から移住してものづくりをする人の割合が増加している。

飛騨のクラフト協会の歩み

30年にわたり飛騨にクラフトありとして活動してきた背景に協同組合飛騨木工連合会(協同組合飛騨木工連合会)の支援とその存在がある。協会の設立から運営まで、飛騨の現代文化のリーダーとして飛騨のクラフト協会を牽引してきた。現在も毎年実施されている木工連主催の「飛騨の家具フェスティバル」の併催事業「飛騨のクラフト展」として、また木工連各社の海外での事業などにも協賛出品し、国内はもとより海外へも情報発信をしてきた。

活動開始初期、1993(平成5)年の協会設立前数年の記録が手薄であることが残念であるが、活動初期より「飛騨のクラフト展」をタイトルに展示会を開催し、1992(平成4)年より1994(平成6)年まで㈱伊勢丹ID研究所所長大川允氏に展示プラン、ディスプレー、講演、講評などをご教授いただいたことが、その後の運営の基盤となった。


1992(平成4)年10月、鍋島道雄氏の紹介により日本橋高島屋美術画廊、約100坪で「飛騨・高山クラフト展」を開催し高い評価を得た。2003(平成15)年からニューヨーク、ドイツ・ケルンで開催された岐阜県事業「オリベクラフト展」には、北村斉顧問の力添えと佐戸川清氏の全体監修により飛騨のクラフト協会の作品が選抜され出品した。2004(平成16)年 その凱旋展が東京・日本橋三越本店で開催され協会員の作品が好評を博し高い販売高をあげたことをきっかけに、その後日本橋三越本店にて「飛騨のクラフト展」が2010(平成22)年まで毎年継続開催された。


協会員の一部ではあるが大手百貨店と正規取引契約を結び、個展やグループ展を開催するなど、クラフトマン個々の販路開拓が順調に向上し、飛騨にクラフトありとアピールしてきた。
2015(平成27)年よりは「飛騨高山つくり手の会」と改組したが、従来からの規約はほぼ踏襲しながら、アート&クラフトの時代に適した活動を目指し新しい道を歩み始めた。

飛騨のクラフト協会

展示会・記念事業等

1992(平成4) 日本橋高島屋飛騨・高山クラフト展開催
1993(平成5) 飛騨のクラフト協会を設立
2003(平成15) オリベ・イン・ニューヨーク「クラフト展・観光展」出品 岐阜県主催
2004(平成16) ドイツ・ケルン東洋美術館 オリベクラフト展出品 岐阜県主催
2005 (平成17) 三越日本橋店「 岐阜オリベクラフト展」 凱旋展 岐阜県主催
以降継続開催
2009(平成21)

設立20周年記念事業2009

2009(平成21) 飛騨・高山暮らしと家具の祭典
町家建築 飛騨センターホールに:建造 飛騨の家具とのコラボ実現
2016(平成28)

改組 飛騨のクラフト協会から飛騨高山つくり手の会

ドイツクラフト展 義基憲人氏 作切り絵屏風

洲さきにて記念懇親会 佐戸川清氏と北村斉氏へ記念感謝状

講評会・講演会 講師

1995(平成7)年デザイナー岩倉榮利氏
1996(平成8)年デザイナー長岡貞夫氏
1997(平成9)年デザイナー長岡貞夫氏
1998(平成10)年デザイナー喜多俊之氏
1999~2007(平成11~19)年デザイナー佐戸川清氏
2010~2020 (平成22〜令和2)年デザイナー西山英煕氏

歴代会長

初代会長 松山文雄

渋草焼芳国舎1993(平成5)1997(平成9)年度5年間

初代会長として飛騨のクラフト協会の設立と運営基盤を築かれた。
2代会長 長倉靖邦

小糸焼窯元当主1998(平成10)2000(平成12)年度3年間)

会長の発案でテーマを設けて作品を出品することが以降定着していった。
3代会長 元田五山

一位一刀彫

2001(平成13)2012(平成24)年度12年間

会員からの信望が厚く、12年間の長きにわたり会長を務められた。

4代会長 義基憲人

(よしもとのりひと)

きり絵

2013(平成25)2015(平成27)

飛騨高山つくり手の会 初代会長2016(平成28)年〜2017(平成29)年度
5代会長荒家敏伸

陶芸

飛騨高山つくり手の会 第2代会長2018(平成30)年〜

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